2005年03月16日
「幸せの形」幸せになるための手段と目的 映画「ロイヤル・セブンティーン」(2)
同じ映画でも何回か見ると色々な発見があるものですね。この映画を始めて見たのはバリ行きの機内だったのですが、昨日、たまたま見たので、また別の角度からコラムを書くことにしました。
ではまずは、簡単にあらすじを。
母子家庭で育った陽気で活発な17歳の女の子、ダフネは「父に会えば、いつも感じていた欠けた心の半分を取り戻せるんじゃないか」と思い、まだ一度も会ったことがない父親に会うため、単身ロンドンに行くことを決意します。
そして、ロンドンで見つけ出した父親は、なんと貴族のヘンリー・ダッシュフォード伯爵。超豪華なお屋敷に住んでいる政治家だったのです。
ダフネは、父と一緒に暮らし始めるのですが、アメリカで自由に育ってきた彼女にとって、イギリスの社交界のマナーにあわせるのが大の苦手!でも、父親に気に入られようと思って、上流階級のしきたりに馴染む努力をすることから始まるドタバタ劇を描いた映画です。
主人公のダフネは、母親のリビーに愛情を一杯注いでもらって、育ちますが、いつも自分の半分が欠けているように感じていました。そして、ロンドンで父親に会い、父親に自分を知ってもらおう、父親との距離を近づけたいと思って一生懸命努力します。
はじめは、自由奔放な娘として父親の殻を破り、彼を自由にしてあげようとするのです。
イギリス男性を揶揄した表現が映画の中に出てきますが、父親役のヘンリーの母親がこういいます。
「イギリス人が感情を表していいのは、犬と馬の前だけだ」
それくらい、イギリスの貴族の男性は感情を抑圧することを教えられるみたいですね。(^^)
そんな彼らにとって、ダフネという娘はまさに、今まで自分たちを縛ってきた伝統を破って自由にしてくれるギフトだったのでしょう。
しかし、ある事件をきっかけに、父親のヘンリーはダフネに、貴族の一員として恥ずかしくないように、行儀良くするように言います。
当然、ダフネも父親から愛されたいですから、今迄の自分を捨てて、貴族のレディとなることを決意するのです。
このあたりは、子供時代に両親に愛されたいが為に、親の期待に答えて良い子になる心理とまったく同じですね。
そして、この映画にはクラリッサという女の子も登場します。この子も、父親がおらず、クラリッサのお母さんがヘンリーの婚約者として登場します。
クラリッサもクラリッサのお母さんも、自分たちを幸せにする「貴族」という称号や地位を求めて、「貴族のヘンリー」と結婚することが幸せになるための手段になっている人たちです。
「父親の愛」「男性の愛」が、地位や名誉、お金、肩書きなどに転換してしまった女性の典型例を表しています。「愛」という移ろいやすいものよりも、目に見えて確実な「もの」に執着します。きっと、そこには痛みが隠れているのでしょう。
だから、そんな彼らの前に突然現れた、血のつながりのあるダフネをすごく恐れます。せっかく見つけた幸せを奪われそうに感じるからですね。
ここには、母親と競争して父親の愛情を奪い合うというエレクトラ・コンプレックスが隠れています。特に、クラリッサのほうはその要素が強い設定のため、あらゆる場面で、競争、嫉妬、優越感と劣等感を必要としています。
まるで「何かに勝つことが幸せだ」「何かを獲得することが幸せだ」と思い込んでいるようです。
このパターンを持っていると、どれだけ勝ったとしても、何かを獲得したとしても、常に負けてしまう、失ってしまう恐れに付きまとわれてしまうので、「成功して不幸な人たち」になってしまいます。
一方、ダフネは、初めは父親の期待に答えようとするのですが、そうすればするほど、本当の自分から遠ざかっていくことに気づき、それをやめます。ダフネ自身が父親と同じ道を歩んでいることに気づいたからです。そして、彼女にとって大切なもの、幸せを思い出したからです。
そして、そのことを父親にちゃんと伝え、父と直面したことをきっかけに彼女は欲しいものを手に入れることができるのです。
「幸せの形」は人それぞれですね。あなたにとって、「幸せの形」それはどんなものでしょうか?
投稿者 yoshi : 2005年03月16日 16:50
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