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2002年06月28日

■~死の恐怖~ 癒しの物語(5)

1週間後。やっとバンコクに到着し、ホストファミリーに連れられてステイ先の家へ向かいました。電話を借りて実家に電話をすると母親が出ました。姉が彼女を知っていたので姉と替わってくれるように言うと

「友達が急に倒れたらしいよ・・・」
「緊急手術をしなくちゃいけないんだけれども、血液が足らないみたいで・・・」
「お姉ちゃんも輸血に行ったよ・・・」

と言われました。ショックのあまり口も聞けませんでした。自分でも何を言っているのかわからないままひとまず電話を切り、死の恐怖と戦いながら、姉が帰宅する時間を待ったのです。

数時間後、再度実家に電話をし姉から手術の様子を聞きましたが、身内ではないので詳しくは分からないとのことでした。ただ、入院当日、院内で倒れ緊急手術となり、たまたま専門医がいたおかげで、奇跡的に一命を取り留めたとだけ聞かされました。

ほっとした気持ちとこれから先の不安と・・・。入り混じる複雑な思いが時間と共に過ぎていったのです。

それから、約1ヶ月後・・・。
インドネシアに到着した私に彼女から1通の手紙が届きました。そこには事の経過が記されていました。
入院当日、突然、心臓の弁が破裂し倒れたこと。最後の力を振り絞ってナースコールボタンを押したこと。気がついたら手術台の上に横になっていたこと。そして、目が覚めたらICUのベッドに横たわっていたこと。1分でも手術が遅れていたら死んでいたかもしれないということ。もう以前のような生活はできないということ。でも、回復に向けて頑張っているということ・・・。

SSEAYPプログラム中、私はほとんど毎日手紙を書きました。そして、各国に寄港するたびにまとめて手紙を彼女に送りました。船旅でしたので手紙のやり取りには大きなタイムラグがありました。それでも私達はお互いに手紙で励まし合ったのです。

■変わり果てた姿

そして、日本を離れてから約2ヶ月後・・・
プログラムが終了し、東京から新幹線に飛び乗り、急いで大阪に向かいました。そして、彼女の入院する病院までたどり着いたのです。

病室に一歩近づくたびに2ヶ月ぶりに再会できる喜びと、言いようのない不安を感じました。そして彼女のネームプレートがかかった病室を見つけ、中に入りました。
そこで待ち受けていたのは、私が知っている彼女ではなく、闘病生活の為、やせ細った彼女の姿でした。彼女は笑って私を迎えてくれましたが、彼女の目には2ヶ月前に私を送り出したときの明るさではなく、深い悲しみがあったのです。

「ごめんね・・・」

彼女は笑いながらそう言いました。

この言葉の真意を理解するにはそれからずいぶんと長い時間がかかりました。後にわかったことですが、大きな病気や障害を持ったり、体に残るような傷跡を受けたり、犯罪の被害を受けた方の多くは自分を責めてしまいます。まるで自分が間違いや罪を犯したかのように、汚れたかのように、欠陥品のように、愛される価値がないように思ってしまうからです。

当時の私にはそこまで理解することはできませんでした。彼女の言葉よりも、一番彼女が大変だった時期に傍にいれなかった自責の念が強かったからです。

私達は2ヶ月分の空白を埋めるために共にたくさんの時間を過ごしました。私は毎日手紙を書く代わりに、毎日お見舞いに行きました。そして、1ヶ月後彼女は無事、退院となったのです。

投稿者 yoshi : 2002年06月28日 00:00

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